Conceptコンセプト

たった一人の心・体・魂の癒しのために

音楽が癒しになるか

「音楽が癒しになるなんて、眉唾だ」

私も長年そう思っていました。癒しのCDとして売られているもので安らかな気持ちになることはほとんどありませんでしたし、むしろエンジニアとしての音の聞き方をするがゆえに、余計に耳が冴えてしまうほどでした。

実際、先行研究でも、音楽が鳴っていると脳が起きてしまう、ということが報告されています。

しかし、音楽=音という認識自体が、実は違っていたのだ、ということに私はある時気付かされました。音の周波数が限りなく高くなると、電磁波になり、光になります。逆に低くなると不快な振動として感じます。私たちが鼓膜で知覚するものだけを音(=疎密波)として認識するのは、実はとても狭義な理解であることを知らされました。つまり、すべては「振動」だ、ということです。

さらに、私たちの知覚器官は耳だけではありません。振動を受け取る、という観点に立つ時、皮膚も、細胞も、あらゆる器官が感覚器官となり得ます。外側だけではありません。内臓においても、心臓には内在性心臓神経細胞(ICN)システムという神経細胞群があります。腸には1億個の神経細胞があり、脳にセロトニンなどの物質を伝達します。つまり、心地よい振動も、不快な振動も、「耳を塞げば同じ」というものではない、ということです。それ以上に、体全体が感じて、あらゆる振動を信号として受け取っていると考えられます。

強い音、便利な音の危険性

音楽プロデューサーとして私は15年近く商業音楽に携わってきました。楽曲・アレンジ・演奏家・収録・ミックス・再生環境まで加味してトータルで音楽を作っていくのが私の仕事でした。ハリウッドとの共同作業を通して、素材レベルからどのように「強い音」を作るのか、ということもいろいろ研究しました。

人は、辛いカレーに慣れると、より辛いカレーが欲しくなります。エンタテインメントの世界も同じで、人はより強い刺激を求めるものです。そうしていくうちに、確実に体は悲鳴を上げていきます。音の世界でも同じです。現実とバーチャルの境目の判断がつかなくなるのです。それは、やがて、キレやすい、不満、うつ、党派心、酩酊、やがては麻薬・・・そういうサイクルに入っていってしまうのです。

天然のだしを使って、やさしい自然の味のまま調理して美味しく頂く。これと全く同じことが、音楽にも本当は必要です。しかし、演奏家は「いかにして自己表現をするか」「いかにして良い演奏をミスなく行うか」を教育されてきていますから、聴く人のことはほとんどの場合、二の次です。料理人に例えるなら、「料理の鉄人」になってテレビに出ることばかりを皆が目指し、家庭の健康を全く顧みずに料理を作るようなものです。

今や一般的となったスマートフォン等で簡単に聴ける「圧縮ファイル」も実は危険な罠が潜んでいます。耳で聞こえない帯域をカットしているのはもちろんですが、それ以上に、よく似た音の帯域を「間引き」しています。これは、インスタントラーメンをいつも食べているようなものです。毎日の食事がこうだったら、体はどうなってしまうでしょうか?

つまり、音を生み出す側、音を届ける側、すべての姿勢が人間の総合的な感覚に大きな影響を及ぼすのです。

凛舟の価値(1):一人のために祈り、寄り添う音楽

音を作る側から届ける側まで、一貫して「たった一人の体・心・魂の癒し」のことを考えて音楽を作ったら、素晴らしいものができるのでは?

凛舟のコンセプトはそこから生まれました。ストレスの元にある方、不治の病を抱える方、そのケアに携わる方、人生の困難に直面している方、うつ、不眠を抱える方、このような方々に「希望」をお届けすることを目指して開発されました。

凛舟は、湾曲板による音の増幅を利用した画期的な音響・振動発生装置です。人間の可聴外高域成分を豊かに含む世界最高水準の技術で作られた15時間に及ぶ楽曲集がセットになっており、手に取ったその日から、美しい音を楽しむことができます。

帆から船体に至るまでの全てが振動し、音を奏でる凛舟の技術は、日本と米国で特許を取得しています。生楽器の如く、その振動は人間の耳の限界を遥かに超えて、体に伝わってくるのです。

凛舟の本質は、それにとどまりません。脳波を用いた研究では、凛舟が人間の精神安定と眠りの最も深い部分に効果のあることが証明されています。もちろん最初からエビデンスが取れることを目論んでいたわけではありません。しかし、改めて「音」「振動」の人への影響力が大きいということが示されたのではないか、と思っています。

凛舟の価値(2):心のこもった工芸品

芸術的価値も凛舟の魅力の一つです。桐ダンスの産地として知られる新潟・加茂の職人の手により、一台一台心を込めて丹念に製作されます。船体には新潟産の桐の原木を使用しています。

かつて、箪笥は嫁入り道具として、終生持つことの出来る高価な品でした。実際、メンテナンスさえすればそのような耐久性があるそうです。

同時に、それは職人の人生を賭けた「一品」でもありました。もちろん、永年メンテナンス付き。ものを売って終わり、ではなく、一生のお付き合いのスタートです。現在のような、数年持てば良い、壊れたら粗大ゴミ、とりあえず見た目が美しく派手で、宣伝文句とマーケティングが付加価値を生む、という考え方とは、完全に一線を画していました。

この地区では、職人はいつも刃物と向き合っていますから、一度や二度、指を飛ばしてしまうことが本当にあるそうです。そういう、本当に身を削る思いをして作った貴重な一品が、それなりの値段をするのは当然と言えます。

伝統工芸品は本当に高価なのか?そこを冷静に考えてみる必要があります。3年持てば良いという仮に3万円のタンスを買い換え続けると、平均寿命80年として、そのうちの半分としても40万一生で使うわけです。購入代金のことだけでなく、そのゴミの始末と地球環境破壊ということを考えると、その損失はそんなものではすまなくなります。

一方で、仮に40万のタンスを40年使い続けても、総額で40万というのは変わりません。何より、その間全くゴミが出ないばかりか、近隣の森林の新陳代謝に一役買うので、良いことづくめです。

職人の命と引き換えに作られた、愛の込められた一品は、その価値が分かる人のところにこそ、伝わっていくのだと思います。たとえどんなに時間がかかろうとも、どんなに大変であっても、これをやめてしまったら、日本の伝統工芸の心は死んでしまいます。その価値を伝えていくこと。それも私の大事なもう一つの使命だと思っています。

凛舟の価値(3):天と地をつなぐデザイン

凛舟のマストは十字架。その十字架は、この地を意味する甲板に立てられ、十字架の頂点に位置する球状オーナメントは天、そして天の父なる神を表しています。

天から地に向かって大きく広がる帆は、天から注がれる恵みを表しています。しかし、それはわずか細いピンで、地である私たちのところに接しているのです。

これは、神の恵みは豊かに注がれているけれども、それを受け取るには、私たちが自らそこに焦点を合わせていかなければならないこと、その恵みに感謝をもって祈る時、苦難を乗り越える希望が与えられること、を同時に表しています。

甲板のドライバーから奏でられる音は、私たち人間が奏でる神への賛美、祈りです。演奏家の注ぎ出すような祈りが、可聴帯域外の振動となって聴く方のところに伝えられます。凛舟の楽曲集は、この価値観を共有してくださる心ある演奏家の方々の祈りのうちに心を込めて丁寧に制作されます。

また、美しい新潟の自然の画像が音源と合わせて収録されており、HDMI端子にモニターを接続すると、スライドショーを音楽に合わせて楽しむことができます。

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